米農家の娘である私にとって、お米は買うものではなく”蔵からとってくるもの”、もしくは”実家から送られてくるもの”である。
農家に休みはない。
作物は生きているし、天気は時々刻々と変化する。
我が家において最も優先されるテレビ番組は「天気予報」だ。
小さいとき、天気予報中に関係ない話をしようものなら「シーッ!」とたしなめられた。
一日に何度も天気予報を確認し、その後の作業内容を決める。
作物の出来によって収入が大きく変わるので、毎日が真剣勝負である。
そんな両親の背中を見て育ったせいか、一緒に食事をしている人がご飯粒を茶碗に残したまま食事を終えるのを見ると、内心「あーあ…」とがっかりしてしまう。
「食べること」は生きることとは切っても切り離せない。
食の根本を担う農家は最強なんじゃないか、と個人的には思っている。
異論はあると思うが、結局生きていくために必要なものを自ら生み出せる者が強いのだ。
と、田植えの手伝い中に金色に輝く田んぼをぼんやりと眺めながら、とりとめもなく考えてみた。
今年もおいしいお米が取れるといいなぁ。