長岡花火と震災の記憶

昨日今日と長岡花火が開催されている。今日も19時過ぎから夜空を大輪の花が彩るようだ。

 

生粋の新潟県民であるにも関わらず、私はまだ長岡花火を生で見たことがない。

 

全国的に有名である分、非常に混むのだ。しかも、長岡はそこそこ距離が離れているので「よし行こう!」と思い立たない限り、なかなか重い腰が上がらない。「地元民は有名な観光地にあまり行かない」説を見事に実証中だ。

 

せっかくこちらに戻ってきたので、来年こそは誰かと一緒に行こうと思っているところである。

 

さてさて。長岡花火と聞くと、どうしても中越地震を思い出さずにはいられない。中越地震のとき、私は小学生だった。家にいたときに大きな揺れが来て、台所のテーブルの下にもぐってすぐ、上の棚から金属のボウルが落ちてきたことは忘れられない。

 

震災の後、長岡花火では中越地震の犠牲者を追悼するため、フェニックス花火が打ち上げられるようになった。フェニックスは不死鳥を指すので、復興のシンボルの1つになっている。

 

残念ながら、震災の記憶は風化しやすい。建物が崩壊しているなど、目に見える被害があるうちは鮮明に思い出せるが、復興が進み、生活が元に戻るにつれ、人々の記憶から姿を消してしまう。

 

そう考えると、長岡花火のフェニックスのように、1年に1度復興のシンボルを示すことは、記憶を風化させないための有効な手段なのだろう。

 

これを機に、防災について考えようと思う。教師になったら、生徒の安全を考え、的確に判断して行動することが求められる。震災のことを生徒に伝え、一人ひとりが自身の身を守り、緊急時に互いを助け合えるような生徒を育てていきたい。