『これからの男の子たちへ』(太田啓子)読了②~感情の言語化を妨げるのは何か~

本日は、昨日の記事の続きです。(昨日の記事はこちらから↓)

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太田さんの『これからの男の子たちへ』では、感情の言語化の重要性が指摘されています。

 

しかしながら、男性は感情の言語化が苦手であるというのはよく言われていることです。私自身、父親を見ていると、特に不快に感じた場合にその感情を整理することなく語気を荒げるような場面を何度も目にしてきました。

 

 

感情の言語化を妨げる要因

著者の太田さんと小学校教諭の星名さんとの対談の中に、感情の言語化を妨げる要因についての話が登場します。それによると、感情の言語化を妨げる要因は「男らしさの覇権争い」と「幼少時の感情の抑圧」なのだそうです。

 

 

男らしさの覇権争い

星名さん曰く、小学校低学年までは親や教師などの身近な大人の影響を受けやすいため、この段階では「男の子は青、女の子はピンク」といったようなジェンダーバイアスの刷り込みは軌道修正しやすいそう。

 

しかし、小学校の中学年以降になると親や教師よりも同年齢の仲間同士のルールや価値観を優先するようになるため、ジェンダーバイアスが内面化し、特に男子はホモソーシャルの原型ができて男らしさの覇権争いが激化してくるそうです(ホモソーシャルの詳細についてはこちらをご覧ください→ホモソーシャルってどういう意味? – "男性同士の絆"と"男性の生きづらさ"について|漫画でわかるLGBTQ+ / パレットーク|note)。

 

男らしさの覇権争いは、仲間内の弱々しい男子をからかったり見下したりする態度、そして女子に対する性的なからかい(スカートめくりなど)という具体的な行動として現れます。しかし、そうした行動を大人が「男の子はおバカだから」という言い方で容認してしまうことも多いです。

 

男らしさを証明するための方策には「達成」と「逸脱」があるそうです。達成は学業やスポーツで競争に勝つという正の方向の努力ですが、逸脱はあえておバカなことや危ないことをするなど大人の期待の逆を行くふるまいを指します。この2つは方向は違いますが、競争原理に基づいているという点では同じです。この競争原理によって自身の弱みを見せられなくなることが感情の言語化を妨げてしまうのだそうです。

男の子は、お互いの弱みや不安、つらさといったものを表に出すことを「ダサい」「かっこ悪い」とする価値観の中で生きることを強いられます。それ自分の中の負の感情を言語化しにくくさせ、共感力やコミュニケーション能力の成長を妨げてしまう。本来得られたはずの自分の感情に向きあう機会を、周囲の接し方で奪ってしまうことになるんです。(p.137)

 

 

幼少時の感情の抑圧

「これってこういう感情なんだ」と自身の感情にラベルを貼る、感情の社会化のプロセスは以下のような流れなのだそう。

①子ども自身の不快感情の表出

例)転んで泣く

 ↓

②周囲の大人からの感情の承認と言語化

例)「痛かったね」「こわかったね」などと声をかける

 ↓

③子どもは自分の感情を言語化でき、安心感を得られる

 

しかし、②の段階で周囲の大人が子どもの不快感情を否定し、抑圧してしまうことがあります。

例)男の子が道で転んだとき、大泣きすることを予想した大人が「痛くない!」「男のだから痛くないよね!」「男だろ、泣くな泣くな!」などと言ってしまう

 

大人が抑圧してしまうと、子どもは自身の負の感情が受け入れてもらえないことを体験的に学習し、その感情を抑え込んでしまいます。その結果、「解離」という状態を招いてしまい、家では親の期待通りにふるまうのに、学校では負の感情を抑えられず、友達にあたってしまうことにもつながります。

 

 

感情の言語化を手助けするには…

感情の言語化を手助けするツールとして、星名さんはSSTソーシャルスキルレーニング)的な方法が有効なときがあると述べています。有名なものだと「気持ちの温度計」といって自分の怒りの度合いを表現する方法があるそうです。また、絵文字を使って自分の今の感情に近いものを選んでもらうという方法も。

 

このやり方だと、感情を表現する語彙が少ない子でも自分の感情を言語化しやすくなるのではないかなと感じました。自分の感情を言語化するには、その感情を切り分けて整理するための言葉が必要になってきます。不快な感情をすべて「ウザい」という言葉で済ませてしまうと攻撃的になりますが、「怖い」「不安」「緊張」「心配」「嫌い」「怒り」「悲しい」などの言葉で切り分けていけるといいのかなと思います。私の専門である国語は言葉を主につかさどる教科なので、生徒たちがどうやって感情を切り分けていく言葉を自分のものとして使えるようになるか考えていきたいです。

 

また、著者の太田さんとタレント・エッセイストの小島慶子さんとの対談では、子育ての中で子どもたちの気になった発言をスルーせずに「今だ!」とばかり子どもたちと話をすることを大切にしているという話が出てきました。

 

小島さんは、息子さんが「オバサン」という言葉を悪口として認識してしまったことを知ったとき、「オバサンというのは人の状態を指す言葉で、それ自体は状態だから良くも悪くもない。でも、あなたが”オバサン”を悪口だと思ったのはどうして?」、「年を重ねることは悪いことではないのに、歳をとった女性は若い女性よりも劣る存在だと、あなたは言ったことになるんだよ」と、小学生でもわかる言葉で説いたそうです。

 

そうした無意識な性差別は日常のどこで現れるかわからないので、その都度取り上げる必要があります。

小島 そう。性差別的なバイアスって、無邪気で無意識なところにみごとに滑り込んでくるから油断ならない。

太田 そういう教育って、一般論として体系的にできるわけではないので、日常の中で飛び込んでくる発言やできごとをすかさず捉えて、その都度やるしかないですよね。常にアンテナを張っていると、気が抜けなくて疲れますが。

小島 疲れます(笑)。でも、しょうがない。

太田 やるしかないですよね。(p.210)

 

この「日常の無意識な性差別をスルーせずに取り上げて話をする」というのは、学校現場においても意識してやっていかなければならないことだと思っています。いつどこで現れるかわからないので、普段からジェンダーについて考え、言語化し、中学生に伝わる内容を話せるようになっておきたいです。