『これからの男の子たちへ』(太田啓子)読了①~感情を言語化することの重要性~

大学の図書館で、ずっと読みたいと思っていた本を目にしたので借りてきました↓

大学院に入ってから本格的にジェンダーについて学んだり、ジェンダーに関する本を読んだりするようになりました。というのも、実際に社会に出て働いてから「女性らしさの呪縛」のようなものを強く感じるようになったからです。また、学校現場で働く中で学校はジェンダー規範を刷り込み、再生産してしまう場所になりかねないと感じました(学校におけるジェンダー規範の刷り込み・再生産に関してはこんな記事がありました→こんな私でも、中学校の教員やってます。 学校はジェンダーを再生産してしまうのか (fc2.com))

 

著者の太田さんは弁護士として働きながら、シングルマザーとして小学生の息子さん2人を育てていらっしゃるとのこと。自身は3姉妹の長女として育ち、男の子が成長する過程をほとんど知らずに育った一方、男の子2人を育てるようになり、社会が投げかけてくる「男の子向け」「女の子向け」のメッセージの違いに気づくようになったそうです。

性差別構造においてマイノリティ属性である女の子と、マジョリティ属性である男の子では、そのあらわれ方も違うのだから、子育てにおいて意識すべきことも違うのはむしろ当然だと、いつしか感じるようになったのです。(p.8)

また、弁護士として関わってきたハラスメント案件やDV離婚案件における男性の言動等を見ていて、性差別的な考えの根強さを感じたそうです。そのため、むしろそうした男性を反面教師にして、これから成人する男の子たちがそうならないためには、どういうことに気をつけて子育てしていく必要があるのか考えなければならない、という思いからこの本は生まれたそうです。

 

私がこの本を読んでいて印象的だったキーワードが「感情の言語化です。

 

感情を言語化する力の重要性

本書には、著者である太田さんと、コイバナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田さん、小学校教諭の星名さん、タレント・エッセイストの小島さんの3名の方それぞれとの対談が収録されています。その3つの対談すべてに「感情の言語化」というテーマが出てきます。

 

太田さんと清田さんとの対談の中で、「男性が自分の感情を言語化する力に乏しい」という話が出てきました。「たぶん生まれつきの差ではなくて、女性は女性としての経験をするなかで内面を言語化する力を鍛えられていく」「「会話の筋力」みたいなものが男女で違いすぎる」と、感情の言語化に対するお2人の捉え方には共通した部分が見られます。

 

太田さんは「自分の属性にマイノリティ性があると、経験の言語化を迫られやすいのだろう」と述べています。逆に言うと、日本において、日本国籍で生物学的な性別と性自認が同じで異性愛者で健康な男性というのは、それらの属性が自分にとって当たり前であるために、自身がマジョリティであることに気づかないということにもなります。「当たり前」であるということは、いちいち説明しなくてもわかってもらえるということでもあるので、言語化の機会は少なくなり、言語化の経験を積まなくても成長できてしまいます。

 

清田さんは『ソーシャル・マジョリティ研究』という本に出てくる感情の言語化のメカニズムを紹介しています。それによると、身体の中で生じた反応に言葉でラベルをつけ、それらが上手く結びつくことで感情が言語化されるそうです。

例えば、呼吸が浅くなったり冷や汗が出ているという身体の反応に対して、「これは緊張だ」「相手に委縮しているんだ」と文脈的な理解ができたときに、初めて感情が言語化できるのだそう。これをするにはトレーニングが必要になってきます。

感情を言語化する習慣がないと、そもそも身体反応を感じることができなかったり、身体反応に対して異なる感情のラベルを張り付けてしまったりするといったことが起きてしまいます(例:恐怖を感じて震えているはずなのに、「これは武者震いだからビビッてない!」と思い込み、心の底の恐怖を拾えない)。

 

この感情の言語化に関しては、私も普段の生活において思うところがあります。私が日常生活で観察可能な男性というと父親の存在が挙げられます。たしかに、父の言動を見ていると自身の不快感をいったん落ち着いて言語化することなく、母や私、妹に強い口調で不快感を表明するという場面がこれまで数えきれないほどありました。父があまりに声を荒げると、母が「なんでそんな言い方するの!?」と聞くのですが、それに対して父がまともな回答をした記憶はありません。

不快感の矛先が私や妹に向くと、そのあとで母が「今までお父さんにきちんと言ってこなかったからこうなってるんだよね。ごめんね」と謝ってきたことがあるのですが、「なぜそこで母が謝る?」という思いと「もう父はどうしようもないのかな」という無力感のようなものを感じました。

 

感情の言語化は他者と折り合いをつけて生きていくためには必要な力です。これからの世の中を担っていく子どもたちの教育に携わる身として、学校生活を通して子どもたちには自身の感情を言語化する力を身につけさせたいと思っています。