自ら考え、判断する子どもたちを育てたいなら、その機会を作り、子どもたちに委ねなければ

先日、NHKおはよう日本広島県のある公立小学校の取り組みが特集されていた。

ちょっと探してみたら、ローカルな新聞でも記事になっていた。

www.chugoku-np.co.jp

 

その小学校では制服着用のルールを変え、私服も選べるようにしたそうだ。子どもたちの自主性を育むのが目的らしい。昨年度、制服着用を巡って高学年の児童と教員が協議し、保護者会でルール変更を提案しても異論がなかったことから選択制の導入に踏み切ったそうだ。ルールを変える話し合いの場に子どもたちが参加しているのが素敵だなと感じた。

 

特集でインタビューされていた子は「授業で服が汚れそうなら私服にするし、そうじゃないときは制服にできるのがいい」というようなことを話していた。そして、その学校に勤務する先生も「最初からただ「シャーペンはだめ」と言うだけではなく、なぜだめなのかを考えるようになった」と話していた。

 

また、制服だけでなく、宿題の出し方も大幅に変更したそうだ。最低限の課題は教師側で設定するものの、それ以外は例示されたものの中から子どもたちが毎週自ら選び、計画を立てて取り組むのだそう。

 

その学校は以前はかなり細かくルールが決まっていたのだという。その例として「低学年は鉛筆5〜6本と赤・青の鉛筆、高学年は鉛筆5〜6本と赤と青を含む3色のペンを持ってくること。シャーペンは禁止」というルールが紹介されていた。それを目にした私の母が「こんなことまでルールで決めるの⁈」と驚いていたが、程度の差こそあれ、学校という場所には側から見たら「何もそこまで決めなくても」というルールがわんさかあるのかなと思う。

 

今はその小学校では最低限のルールが2つ3つあるくらいで、それ以外は子どもたちが選択できるようになっているとのこと。

 

自ら考え、判断することができる子ども育てるには、その機会を作り、子どもたちに委ねなければならない。大人が思っている以上に子どもたちには判断する力がある。

 

小学校でシャーペンが禁止される理由として「子どもは筆圧が強いので芯が折れてしまうから」「分解して遊んでしまうから」といったものがよく挙げられる。前者に関しては一人一人筆圧は違うし、芯がよく折れるなら使いにくいことこの上ないので自然と使わなくなっていくはず。後者については、そもそも遊んでしまう状況になっていることが問題なのであって、そういう状況であればきっとシャーペンがなくても遊んでしまうだろう。

 

一律に禁止してしまいがちなのは、その方が教員にとって楽だからなのだと思う。拘束やルールで一律に縛ってしまうと、子どもたちはそれが当たり前だと思考停止してしまい、考えることをしなくなってしまうのではないか。

 

もちろん最低限のルールは必要だろうと思うけれど、子どもたちとともに今ある校則やルールについて「これ必要?」と考え直していく必要がありそうだ。