映画「フェアウェル」を観て、大切な人の死について考えた話

今年の前半は自粛ムードで映画館がストップしていたためか、ここに来て素敵な作品が目白押しになっている。

 

昨日観たのは「フェアウェル」。

NYに住む主人公のビリーとその家族は、ガンで余命3ヶ月と宣告された祖母のナイナイに会うため、中国に帰郷する。親族は病のことを本人に気づかれないように、集まる口実としていとこの結婚式をでっち上げる。ちゃんと真実を伝えるべきだと訴えるビリーと悲しませたくないと反対する家族の葛藤が描かれている。

 

私は「残された人生を有意義に過ごすためにも、本人には病状を正直に伝えた方がいい」と思っていたのだが、この映画を観た後は少し悩んでしまった。

 

というのも、「中国にはね、"ガンになった人はガンで死ぬのではない、恐怖で死ぬのだ"という言葉があるのよ」というビリーの母の台詞を聞いたからだ。

 

死は誰にでも訪れるものだけれど、死には恐怖がつきものである。

 

余命を伝えて、それでも前向きに生きていける人ならいいけど、自分にとって大切な人がそうではなかったら…

 「残された人生を悔いなく過ごすために真実を告げるべき」というのは残される側のエゴではないのかとちょっと思ってしまった。

 

また、文化の違いによっても死生観は変わってくるのだということを強く感じた。中国でのお墓参りのシーンは日本のものとは大きく異なり、見ていて興味深かった。

 

私は大切な人には最期まで笑顔でいてほしいと思う。

 

告げるか告げないかは相手や状況によって変わってくるだろうけど、その人が最後まで幸せに生きられるよう、私にできることをしていきたい。