昨日の面接で唯一しどろもどろになった質問があった。
「来年から中学校でも新学習指導要領が全面実施されますが、国語科の目標にある「言葉による見方・考え方を働かせる」とはどういうことですか」
中学校は今年から全面実施になったものと勘違いしていたので、そこまで問われることはないだろうと思い、学習指導要領に関する質問の対策は手薄だった。よりよって本丸の対策を怠っていたとは…抜け策もいいところである。
当然頭の中は真っ白。この質問については、トンチンカンな口から出まかせを言い、なんとかやり過ごしたことしか覚えていない。
家に帰ってすぐ学習指導要領を確認したら、国語科の目標に以下の記述が。
言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)社会生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
(2)社会生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。
(3)言葉がもつ価値を認識するとともに,言語感覚を豊かにし,我が国の言語文化に関わり,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。
「言葉による見方・考え方を働かせる」ことについては、学習指導要領解説には以下のように書いてある。
言葉による見方・考え方を働かせるとは,生徒が学習の中で,対象と言葉,言葉と言葉との関係を,言葉の意味,働き,使い方等に着目して捉えたり問い直したりして,言葉への自覚を高めることであると考えられる。様々な事象の内容を自然科学や社会科学等の視点から理解することを直接の学習目的としない国語科においては,言葉を通じた理解や表現及びそこで用いられる言葉そのものを学習対象としている。このため,「言葉による見方・考え方」を働かせることが,国語科において育成を目指す資質・能力をよりよく身に付けることにつながることとなる。
国語が他の教科と大きく異なるのは、もとになる教材文があるというところだと思う。「教材文を教えるのではなく、教材文”で”教える 」というのはよく聞くフレーズだ。教材文”で”教えるので、必ずしも教材文のテーマについて自然科学や社会科学からの視点から理解する必要はない。
例えば『オオカミを見る目』(高槻成紀)という説明文があるが、この説明文を読むことでオオカミについて調べてまとるようなことを求めているわけではない。
それよりも「筆者はオオカミについてどう捉えているか。それは教材文のどの表現からわかるか」、「この文章で、筆者は自分の主張をわかりやすく説明するためにどのような工夫をしているか」といったように、教材文の言葉に基づいて考えさせることを求めているのだと思う。
国語では教材文に基づいて筆者の見方・考え方について理解し、それをもとに自身の見方・考え方を捉え直したり、「本当にそうなのか?」と疑問を持ったりすることが大切なのだ、きっと。
それが言葉による見方・考え方を働かせることなのかなぁ。
もし昨日の面接の場にタイムスリップできたとして、今の私が答えたとしたら、
「教材文に使われている言葉や教材文の構成などに着目することで、自身の物事の見方や考え方を捉え直したり考え直したりすることだと思います」
という答えになる気がする。
今回のこの質問は、改めて学習指導要領に立ち返るきっかけになった。