恩師とzoomで話して思ったこと

最近、高校時代の恩師3人とzoomを使ってお話しする機会があった。個人研究のインタビューをお願いしたら、快く引き受けてくださったのだ。

 

そのうちの1人の先生は、当初は「zoomではなく電話で」という要望だったので電話でお話しする予定だったのだが、直前になって「やっぱりzoomでやってみようと思います。パソコンとスマホにアプリをインストールしました」とのことで、急遽zoomで話すことになった。

 

久しぶりに目にした先生の様子は、高校時代の記憶とそこまで変わっていなかったのだが、聞けば定年間近だという。時間の経過を感じるとともに、定年間近の大ベテランでもzoomを使ってみようとするその柔軟性がすごいなぁと思った。

 

「(zoomを使うという)貴重な経験ができました」と最後おっしゃっていたのがうれしかった。

 

恩師と連絡を取ろうと思い、はじめにやったのが、過去の3月末の新聞で教員の異動の情報を確認することだった。

 

私が高校を卒業してからすでに10年近く経過している。公立高校の先生は同じ学校にいる期間がわりと長いとはいえ、何度か異動されている可能性が高い。過去7年分の新聞を市立図書館の書庫から引っ張り出してもらい、細かい字で書かれた異動の欄をひとつひとつ確認していった。

 

何年分も確認していると、見たことある名前がいくつか出てくる。高校のときにお世話になった先生方の名前だ。

 

それでも、結局インタビューの依頼状を送ったのは部活でかかわりのあった先生方だった。

 

なんとなく、教科担当のみ、担任のみのつながりの先生には送りにくかった。

 

逆に冒頭の3人の先生方の中には、教科担当でも担任でもなかった方がいるが、迷わず手紙を送った。

 

それだけ、部活を通したつながりというのは強いものなのだろうと思う。

 

そういえば、今でも連絡を取り合っている私の高校時代の数少ない友人は、そのほとんどが部活つながりな気が…

 

「恩師」の定義は人によってさまざまだと思うけれど、「何かあったときに連絡を取ろうと思える」という要素を入れるとしたら、その存在は限られてくる。

 

”部活”という共通点の強さのようなものを、今さらながら感じた瞬間だった。