「優しさ」には大きく分けて2種類あると思う。
1つは、「しない優しさ」。
『論語』にあるところの「己の欲せざるところ人に施すことなかれ(自分がしてほしくないことは人にもしてはならない)」がイメージとしては近い。
もう1つは、「してあげる優しさ」。
こちらの方は、『新約聖書 マタイの福音書』に「自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」とある。
「どちらがいいんだろう?」と考えてみるものの、なかなか答えは出ない。
思いは表現しなければまわりに伝わらない。一方で、良かれと思ってやったことが相手にとっては大きなお世話、おせっかいだなんてこともありうる。
私は、以前はわりと前者の「しない優しさ」の方に傾きがちだった。
私自身HSP傾向があるせいか、相手の「嫌だなぁ」とか「イライラする」といったようなマイナスの感情を比較的察知しやすいのだ。相手がそういった気分の時は安易に声をかけてしまうと、相手の心に土足で踏み込むことにもなりかねない。だから、そばで見守るものの声はかけないことの方が多かった。
ただ、それだと私自身が疲れてしまう。終始、相手の見えない心情に振り回されてしまうからだ。
「しない優しさ」は気付かれにくい。
そのため、最近は「してあげる優しさ」の比重を多くするようにしている。
実際に自分の思いを表現しなければ相手には届かない。
相手に喜んでほしいと思えば、プレゼントをしたりLINE等でメッセージを送ったりする。
「ありがとう」と相手に感謝を伝える。
心配なら「大丈夫?心配しているよ」と声をかける。
おせっかいになることを気にして何もしないでいるよりは、行動に移してみた方が良さそうだ。
相手の反応が微妙だったら「あぁ、こういうときはこの対応じゃない方がいいんだな」とわかるし、相手が喜んでくれたらもうそれだけで自分もうれしい。
とはいえ、もちろん「しない優しさ」も大切だから、2つの間をゆらゆらとたゆたいながら生きていくのかなぁと思う。