SNS上の誹謗中傷により、テラスハウスに出演していた方が自ら死を選んだ。
言葉は他者に何かを伝えるためになくてはならないツールの一つだが、それは時に鋭利な凶器になりうる。
「口は禍いの元」
「病は口より入り禍は口より出ず」
「下種の口に戸は立てられぬ」
などなど、古くからことわざとして伝わり、現代にも残っているくらいだ。
最近はSNSが発達し、匿名性も高まっているので、この傾向はさらに加速しているように思う。
悪意は善意よりも届きやすい。好意的な人はわざわざ何か言ったりせずに見守ることも多いが、叩く人は容易に悪意を向けるし、相手にわかるような形で悪意を示すからである。
1か月ほど前に、東洋経済ONLINEで脳科学者の中野信子さんの記事を読んだ。
タイトルは「他人を許せない正義中毒という現代人を蝕む病」。
https://toyokeizai.net/articles/amp/346215?display=b&_event=read-body
中野さんは、他者に対する「許せない」が暴走し、「正義の制裁」を加える快楽にはまってしまう状態を「正義中毒」と読んでいる。もともと人間の脳は、わかりやすい攻撃対象をみつけ、罰することに快感を覚えるようにできており、誰もがみな「正義中毒」になりうる仕組みを持っているのだそう。
正義中毒に陥らないカギは”メタ認知”。
「自分は今どういう状態に置かれているのか」
「自分がこれをしたら相手はどう思うだろうか」
こういったことを客観的に捉えることができるかどうかが重要らしい。
SNSにおける誹謗中傷の厳罰化を叫ぶ声もあるが、厳罰化するだけでは事態は好転しないように思う。厳罰化だけで誹謗中傷が減るならもうすでに対策が取られているだろうし、抜け道を見つける人間はいくらでもいる。そもそも中野さんの言うように、脳の仕組みとして「許せないから叩く」という行為に走る可能性を誰もが秘めているのだ。
誹謗中傷で自ら命を絶つ人を生じさせないためには、「誹謗中傷をしてはならない」と考える人を増やし、それが社会全体のムーブメントになるようにしていく必要があるのではないか。人間は関係の中で生きる生物である。「(自分の周りの)みんながこう言っている(考えている)から」というのが抑止力になりうると思う。
厚生労働省の統計によると、15~39歳の死因の第1位は「自殺」なのだそうだ。医療が発達し、さまざまな病気を治すことができるようになったとはいえ、「自殺」が死因の第1位に上がってしまうというのは心が痛い。
子どもたちがSNS等での誹謗中傷により自ら命を絶つ選択をしないために、教員としてできることは何か。
今のところは、つらいときは逃げることができるようにすることや安心できる人とのつながりを作ることの大切さを繰り返し語ることなのかなぁ、とぼんやり考えている。