昨日は普通科の存在意義について、もやっとしていた。
なので、今日のゼミで早速西川先生に聞いてみた。
私「高校の普通科の存在意義って何ですか?」
間髪入れずに、
西「ない」
快刀西川、過去一の切れ味。
普通科は進学する生徒のためのコースとされるが、今の時代大金を払って大学に行ったところで、就職先があるかというと必ずしもそうではないというのが現実である。
この辺のことは、西川先生の『学歴の経済学』に詳しく書いてある。
普通科から大学に進学し、大学でかかった教育費や高卒で就職していれば得られたであろう4年分の賃金(+人によっては奨学金)を回収できる給料を得られる職に就けるのはごく少数である。
最近は普通科に進んでも 進学せずに就職する生徒がいる学校を「進路多様校」と呼ぶらしい。
そうなるとますます現状の普通科の在り方に疑問が湧いてくる。
研究を進める中で普通科の存在意義に疑問を抱いたわけだが、大学院で学び直していなければ、上記のことを知らないまま教員を続けていたんだろうなぁと思う。その可能性を考えると、ちょっと背筋が寒くなる。
私自身、普通科の(地元では)トップ校と呼ばれる高校を卒業した。浪人生を除けば、同級生のほぼ全員が4年制の大学に進学するような学校だ。
大学も(いわゆる)偏差値が高く名の知れているところを卒業し、今に至る。
「学歴が役に立っているか?」と言われると正直わからない。
結局大学卒業後働いたのは3年間だけだったし、修了後も学歴に見合うだけの給料をもらえるかなんてその時になってみなければわからない。
それでも私は「自分は安定した職につけるだろう」と思い込んでいるし、「4年制大学に進学した私の同級生も、今ごろ安定した職に就いているのだろう」と漠然と考えている(実際のところどうなのかは知らないけれど)。
自分がどれだけ狭い価値観・視野の中にいたのか、今ならわかる。
このご時世、「とりあえずビール!」みたいに「とりあえず普通科」では、ほとんどの生徒はお先真っ暗になりかねない。
しかし、そのことに気づいている生徒、保護者、教師がどれくらいいるのか。
研究論文を読む人は限られてしまうけれど、それでもこの状態に一石を投じたい。
その一心で研究を進める私。
最近はこんなことばかり考えている。