"なぜしんどい?"を考えてみること

昨日、zoomで高校の国語の先生や国語に興味がある方とお話しする会に参加させていただいた。

 

長年『学び合い』を実践されている先生もいらっしゃったので、せっかくだからと今まで聞きたいと思っていたことを聞いてみた。

 

『学び合い』において教科は関係ない、というのはわかってはいるつもりだが、私はやはり教科を捨てきれていないのだろう。国語の授業では実際どうやっているのかということが気になってしまう。

 

質問をした流れで「講師時代にほとんどの生徒がAOや推薦で進路が決まっている高3私大文系クラスの古典を受け持ったとき、しんどくてしかたがなかったんですよね」という話がぽろっと口をついて出た。

 

そのときに言われたのが、

「なぜしんどい?何をしんどいと思っている?」

 

このフレーズが心にすとんと落ちた。

 

「なぜ?」という問いは、仕事に追われていたり何かに悩んでいたりするとなかなか浮かんでこないものだ。「なぜ?」は根本的なところを考えなければならなかったり、自身を客観的に見つめなければならなかったりする。

 

あのときの私には「なぜしんどい?」と考える時間と心の余裕はなかったし、身近に相談できるような人もあまりいなかった。

でも今は(院生なので)比較的余裕もあるし、相談できる仲間がいる。

 

しんどいとき、つらいときこそ「なぜ?」に立ち返った方が道が見えてくるのかなぁと思った。見た目は回り道かもしれないけれど。