感情を出すことを恐れるな

今読んでいる本、『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』(湯山玲子・二村ヒロシ著)。

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先日、本屋でふらふらしていて衝動買いした本。完全なるジャケ買い。プラス今ちょっと関心がある少子高齢化にもつながるかなと思って。

 

特に、第2章の「ひからびた感情を取り戻せ!」のところは腑に落ちるところが多かった。

 

twitterを見ていて、ちょっとした間違いでもなんでこんなに炎上したり完膚なきまで叩きのめしたりするんだろう?、と不思議に思っていたのだが、その答えになりそうなものがこちら。(以下引用)

 

「やはりキリスト教圏では人間は間違いを犯すもので、そこにはもちろん、感情も含まれているから、頭にきたら怒ってもいいんですよ。感情があっての人間ですからね。一方、日本では感情を露にすると軋轢が生じて共同体で生きていけなくなるから、できるだけ我慢して外に出さないのが作法とされていることがひとつの原因。」

 

「インターネットでは正義の論理を振りかざして弱者叩きをするでしょう。たとえばルールを守らない奴に対して、ワーッとバッシングしたり。怒っているのは自分個人の感情なのに、「私は感情的になっているわけではありません。社会的に正しいことを言っているだけですよ」という正当化でもって徹底的に叩く。」

 

・日本人は感情を抑圧しがち

・自身の怒りを「社会的に正しいことを言っている」と正当化

この2つが、ミスをした人間や弱者をネットで執拗なまでに叩く要因なのだろう。

 

”感情を抑圧しがち・できるだけ我慢”という部分は、自分も思い当たる節があるので気をつけよう。

 

また、「我慢してそののちキレることを、「それだけ我慢したんだから」と容認する。その暴力性のほうが本当は恐ろしいのにね。」という部分も刺さった。

「こんなに我慢したんだから」ということを免罪符に、理不尽な怒りをぶちまけることはないか。

 

感情はこまめに棚おろしするようにしよう。

何を考えているのか、どんな気持ちなのかわかりやすい人の方が一緒にいて安心するし、好かれるだろうから。