言葉に対するスタンス

最果タヒさんの『百人一首という感情』を読んでいる。

最果さんを知ったのは、清川あさみさんとの共著である『千年後の百人一首』という本を、表紙に一目惚れして衝動買いしたときである。私は、特に物を買うときは、石橋を叩きすぎて壊すくらい慎重なタイプなので衝動買い自体珍しいのだが、その時は思わず本を手に取ってレジに運んでいた。(ここに表紙を出せないのが惜しい…)

 

今読んでいる『百人一首という感情』は、最果さんが一首ずつその歌に関する文章を添えていくエッセイなのだが、その中に印象的なフレーズがあった。

 

 

「言葉というのは変容していくものだし、壊れていくものだし、変化することをやめたなら、それは言葉を、自らの言葉を、見つけ出そうともがく人がどこにもいなくなったということだろう。「言葉を壊すな」というのは、「言葉を殺せ」ということであると、私は思ってしまう。」

 

 

私は大学で日本語学を専攻していたのだが、自己紹介等でその話をすると、決まって「(私と話す時は)言葉遣いに気をつけなきゃ」と言われる。また、卒論のテーマが"全然"という語の使われ方の変遷だと知るやいなや、「全然いいよ!、みたいなのは間違ってるんですか?」と聞かれる。

 

「もちろん規範はあるけれど、言葉は変化していくのだから、いちいち新たな表現に"誤用だ!"とか、"言葉の使い方がなってない!"と目くじらをたてなくてもいいんじゃないか」というのが、私の言葉に対するスタンスである。

 

その場に応じた言葉遣いは必ずあるので、そもそも私と話している時だけではなくて、どの人と話している時でも言葉には意識的であってほしい。でも、言葉の変化を糾弾してばかりだと、言葉が窮屈になってしまう。

 

言葉の数だけ思考はあるのだし、思いを伝えるツールとして、うまく言葉と付き合っていければいいなと思う。