2:6:2は本当だなぁ

非常勤講師先は今週まで授業。

 

夏休み前最後の授業で、生徒たちには振り返りシートの余白にこの授業全体の感想を書いてもらっている。

 

ちゃんとしたアンケートを作ろうかと思ったのだが、項目をどうしようか迷って結局作らなかった。

 

生徒にとっては、急に来たよくわからん先生が今までとは違う形式の授業をいきなり始めたという感じだっただろうと思う。

『学び合い』の名前は出していないけど、『学び合い』について生徒がどう思っているのか知りたかった。

 

「成績とは関係ないから自分が思ったことをそのまま書いてね」と伝えたら、わりと率直に書いてくれた、気がする。

 

今日あるクラスの振り返りをざっと見たところ、「このまま続けてほしい!2学期も楽しみ!」という生徒が2割、「友達と一緒にできるのはいい」が6割、「普通(板書・座学)の授業がいい」が2割くらいだった。

 

本当にイノベーター理論の「2:6:2」になるんだなぁと思った。集団が健全な証拠。

 

"合わない"2割は私が何かしようとしてもダメなんだろうけど、でもその思いに寄り添いたいと思う。

 

「自分はいいと思うけど、合う人と合わない人がいると思う」というまわりを見ることができているコメントや「何が重要なのかがあやふやでわからない」という「あぁ、たしかに…」というコメントも。

 

いったん全て受け止めて、夏休みの2週間で2学期の授業を組み立てなければ。

人のふり見る前に我がふり直せ

昨日、ある生徒が発した「連帯責任」という言葉についてぼんやりとした違和感があることをこのブログに書いたら、さまざまな方からコメントをいただいた。

 

SNSを通して自分が困っていることについて発信することによって、アドバイスをいただいたり、自身の頭にあることを言語化するのを助けていただいたりしている。一人で抱え込みがちな私にとってSNSというツールはとてもありがたいものである。

 

その一方で、SNSは使い方を間違えると凶器になりうる。

 

今日は自身の軽率さを指摘していただいたおかげで、最近の自分の振る舞いについて振り返る機会を得た。

 

私は一介の大学院生に過ぎない。

見えている視野は狭い。

自身が良いと思っている物事を、他者に押しつけがちである。

自身の言動を他者がどう思うかというメタ認知もまだまだ甘い。

 

こうしたことを自覚せねばならない。

 

どんなに自分が正しいと思っていることでも、言っていいことと悪いことがある。

↑生徒にはよく言うことなのだが、自分自身はできているだろうか。

 

生徒に言うことは自分にもそれを課さなければ。

 

相手に対する礼儀と感謝を忘れないようにしよう。

そして、自分自身が信頼に足る人物であると相手に思ってもらえるように行動しよう。

連帯責任…なのか?

非常勤先では今週は夏休み前最後の週なので、10分短縮の午前授業。

今日も2コマ授業をしてきた。

 

その2コマの中には、先週の段階でどうにもうまくいっていなくて「困った…」となっていたクラスもあった。

 

「表出している”悪い面”は私にはどうしようもない」「良いところに目を向けよう」

自分にそう言い聞かせつつ、授業に臨んだ。

 

今日は、「青が消える」が暗示していることは何か自分の言葉でまとめる、というかなり難しい課題だった。案の定3分の1ほどの生徒が課題を達成できなかった。

 

それでも、自分のグループだけでは無理だと考えた生徒が他のグループの生徒に助けを求める姿がいくつか見られたので、最後の語りではそのことについて「いいね!」と伝えた。

 

いろいろ言いたいことはあるし、いくつか目をつぶったこともあるけど、今はそれでいいかなと思う。

『学び合い』は魔法ではない。

一気にクラスの課題がすべて解決するはずがないし、もう少しだけ先を見据えてじっくり繰り返し何度もやっていくしか道はないのだろう。

 

もう一方のクラスでは単元テストを実施した。

最初の授業で「単元テストで7割取ること」を目標として掲げていたので、さて、どうかなと思っていた。

結果としては1人だけ7割を取れなかった。

 

最後の語りで「目標は全員が7割を取ることだったけれど、このクラスでは達成できなかった。1人1人もっとできることがあったのではないか」と語ったのだが、そのとき生徒の1人が「連帯責任ってやつか」とつぶやいた。

 

うーん、連帯責任か。

私はその言葉にモヤっとしたのだが、どうもうまく言語化できなかった。

 

何にモヤっとしているのかわからないので、余計にモヤっとする。

何に引っかかっているんだろう。

『マーケティング・インタビュー 問題解決のヒントを「聞き出す」技術』(上野啓子)読了

 同じゼミの研究生の方から紹介していただいた一冊。

 

見切り発車的にインタビューを始めてしまったため、インタビューのやり方そのものはきちんと学んでいなかったなと思って読んでみた。

 

インタビューはただ聞いているだけではダメなことは感覚的にわかっていたけれど、相手の話を傾聴しているだけでも自分が必要とする情報が相手から出て来ないまま時間が過ぎていってしまう。

 

この本では、筆者が今まで自身がしてきたインタビューを振り返り、「聞き出すコツ」を事例をもとにわかりやすく言語化している。

 

インタビューを始める前に読んでおけばよかったなぁと思った。

 

この本の中で印象に残っているのは、「沈黙を尊重する」ということだ。

特に初対面の方とのインタビューでは、沈黙はちょっと怖い。

 しばしば限られた時間のなかで多くのことを聞き出さなくてはならないために、どうしてもインタビュアーが多弁になり、追いたてるように聞いてしまう。そこで、インタビュー対象者の沈黙に出合うとうろたえ、回答をせかしてしまうことが多い。

この部分を読んで「あぁ、わかるー」と赤べこのごとく首を振りたくなった。

 

しかしながら、筆者は「沈黙は有効な情報である」とし、沈黙を”透明なボール”に例えて話を進めている。

 フォーカス・グループ・インタビューが司会者と対象者、あるいは対象者同士のキャッチボールであったとすると、沈黙は透明ボールであると思えばいいのかもしれない。沈黙は決してキャッチボールへの参加拒否や中止ではない。

普通の発言を”色つきのボール”のようなものだとすると、沈黙は透明のボールと言える。インタビューが会話のキャッチボールだとすると、インタビュアーは透明のボールも受け止めなければならない。

 

”透明なボール”というたとえのおかげで、沈黙を受け止めることがすっとイメージできた。

 

この部分を読んでから、インタビュー中に沈黙が訪れても、むりやり追質問したりそれまでの発言を要約したりせずに相手の言葉を待つようになった。

 

あくまで言葉を紡ぐのは相手であり、インタビュアーはその言葉が出てきやすいような雰囲気を作ることが大切なのかなと思う。

 

筆者はさらに沈黙の意味するところを「躊躇の沈黙」や「遠慮の沈黙」など7つにタイプ分けしている。言われてみれば、ぱっと見同じ「沈黙」であっても、なぜ沈黙が訪れているのかは状況によって違う。

 

沈黙を受け止めるのが大切であること、沈黙には意味があることを知ることができたのが最大の収穫だった。

 

インタビューを始める前に読んでおけばよかったなぁ(2回目)

高校の先生へのインタビュー、開始!

企業の方へのインタビューが7月半ばで終わった。

始める前は協力してくれる企業がいるのだろうかと心配でしかたがなかったが、ふたを開けてみれば地元企業の20社以上、80名を超える方々がインタビューに協力してくださった。感謝の気持ちでいっぱい。

 

今日から8月に入り、今度は比較対象である高校の先生へのインタビューが本格的に始まった。私は手帳に予定を書き込む際に予定のカテゴリーごとに蛍光ペンで印をつけるのだが、8月前半はインタビューの予定用の緑のラインが増えてきている。

 

今日はお二人の先生とそれぞれ1時間近くインタビューをさせていただいた。

 

インタビューをしていると、その先生の教育観や信念などが言葉の端々に現れてくるなと思う。

 

現場にいると日々の仕事に追われ、なかなかまわりの先生方の教育に対する”根っこの部分”に触れる機会はほとんどない。だから、現場に行く前に研究を通してさまざまな先生の教育に対する思いを聞くことができるのは貴重な経験だと思う。

 

こんな感じで、自身の教育観についてまわりの先生方と話せるような職場環境だったらどんなにいいだろうと思う。

 

今のところ協力してくださる先生は20名ほど。どんなお話が聞けるのか、今からワクワクしている。

西川先生はすべてお見通し

今日の学年ゼミで西川先生に不安な心境をそっくりそのまま伝えた。

 

「4クラス中1クラスだけどうもうまくいかなくて困っています。そのクラスに行こうとすると足が重たくなるんです。教室の空気も重いし、教室の真ん中あたりで一人が作った解答を写してやった気になっているグループがどうしても目に入ってくるんです。もう何を語ればいいのかよくわからない…」と。

 

それに対して西川先生は、「どんなに力があって素晴らしい先生でも合わない子に対しては何をやってもダメ。それはしーちゃん(私)が悪いわけじゃない」

 

そして、「俺もそうだよ。200人くらいの大教室でさ、私語が聞こえてくるわけ。俺の授業取らなきゃいいのにって思うんだけどさ、そういうときはテンションがドーンと落ちるよね」

 

何より、この「俺もそうだよ」という言葉に救われた気がした。

結局私は、私が抱える困難な現状に対する受容と共感を欲していたのだと思う。

 

西川先生はお見通しだなぁ。

 

私も(何年先になるかわからないけど)「私もそうだったよ」と言えるような先輩教員になりたいと今日強く思った。

 

今日のゼミで「こうしたらいいんじゃない?」というアドバイスはもらったが、それをもとに行動に移さなければ意味がない。

 

気長に待って、じっくり、したたかと。

↑難しいことだけど、『学び合い』で集団の成長を見取り、価値づけしていくにはこのスタンスが必要。

 

これからも悩んだり壁にぶつかったりすると思うが、M2のうちに「ゼミで西川先生に相談できる」という特権を使い倒そう。

 

私の挑戦はまだ始まったばかりだ。

途中で潰れないように、やわやわとやっていくか。

負のスパイラルだな、これは

ここ最近、このブログがその日1日の授業のリフレクションになっている。

 

今日は担当する高3の4クラス全てで授業があった。

1日に全クラスあると、それぞれのクラスの違いがよくわかる。

 

終了20秒前まで粘りに粘って全員達成するクラス。

難しい課題でも自分の言葉でまとめようと四苦八苦する生徒が多いクラス。

「時間だから座りなよ」と全体を見て声をかけられるクラス。

 

生徒たちの素敵なところはたくさんある。

 

ただ、4クラスのうち1クラスがどうもうまくいっていない。

 

空気が重い。

関係が固定化している。

答えを写して達成した気になり、そのあとヒマそうにしている。

 

他のクラスより闇が出てくるのが早いだけなのかもしれないけれど、それでもヘコむ。

 

「悪いところに目を向けても、教師にはどうしようもない。それをどうするか考えるのは生徒たち」

↑頭ではわかっている。わかっているはずだけど…それでも目の前で繰り広げられる光景を前に私の心は穏やかではない。きっとそれが、表情にも、語りにも表れているんだろう。

 

何を語ればいいんだろう。

わからなくなる。

負のスパイラルだな、これは。

 

明日学年ゼミがあるから、西川先生に相談(という名の愚痴)をしてみようかな。

 

安心がほしい。

でも、それでいいのか?、とも思う。

頭の中がぐるぐるだ。