先日、父方の親戚からお中元が届いたお礼にと電話がかかってきて、私が受けた。
私にとっては伯母にあたる人なのだが、住んでいる場所が離れているためか、なかなか顔を合わせる機会はない。
近況報告をいろいろとしていたら、その伯母さんから、
「なんで講師を辞めて大学院にいったの?」と聞かれた。
ちゃんと話そうとするとけっこういろいろあるので、
「講師してて、学び直したいと思ったんですよねー」と当たり障りのない返答をした。
そうしたら、
「そうだったの。水が合わなかったのかなぁ、なんて心配してたのよね」と伯母さんが言ってくれたので、この人には話しても大丈夫かなぁと思い、講師を辞めた経緯をかいつまんで話した。
私が講師を辞めようと決めたのは、同僚の先生との関係がどうにもうまくいかなくなってしまったのが直接の原因だった。
同僚の先生と言っても大先輩、教科も同じだったので、本当にお世話になった。
それでも、その先生の発言にかなりメンタルをやられてしまった。最後の方は、私に向けられた言葉ではないと頭ではわかっていても、心が悲鳴をあげてしまい、「もうだめだな」とふっと我に返った。
そのほかにも、(残念ながら)辞めようと思ってしまうような要素は揃っていた。
・初任なのにも関わらず、同じ初任と授業を組むことになり、指導係も特におらず疲弊する(途中で他の先生が間に入ってくださったのでなんとかなった)
・3年目の時、同じく常勤講師の同期や後輩が担任を持つ中、私は正規教員に上がることもなく副担任のまま
特に2つ目は正直堪えた。まわりの先生方からは働きぶりを認めてもらっていたし、私も学校に多少なりとも貢献できている自負はあったから。
「いきなり担任を持たせてつぶれないように、大切に育てようとしてくれているんだよ」とフォローしてくれた先生もいたが、「あぁ、私ってこの学校ではその程度の存在なんだな」という思いはいつもついて回った。
辞めると上に伝えた後、まわりの先生からは散々引き留められた。「来年正規に上げようと思っていた」とまで言われた。でも、「もう遅いんだよなぁ」という感じだった。
地元の採用試験に落っこちて「私って必要とされてないのかなぁ」なんて思っていたときにひろってもらった学校だったので、恩を感じていた。
それでも、だめなものはだめだった。
しがみつかなくてよかったと今なら思える。
「そんなにつらいなら逃げればいい」と言う人は多いけど、渦中にいる人間は「そうは言っても…」とか「そんなの無理だよ…」と思っている人が多いのではないか。
「そんなにつらいなら逃げればいい」というより、「いつでも逃げられるように準備をしておこう」の方がいいのかなと個人的には思う。
自分はいつでも逃げられると思えば、「ここで耐えなければだめだ」と洗脳(?)されにくくなるし、いざとなれば逃げることもできる。心のセーフティネットになってくれる。
「いつでも逃げられる準備」をするためには、まとまったお金と人とのつながりが必要になってくると思う。実際、私も頼りにしたのはその2つだった。
「お金」と言ってしまうと身もふたもないのだが、やっぱり大切。
そして、逃げてもなんとかなるような「人とのつながり」を持てるような子どもたちを育てていきたいと思う。