"誘われ待ち"の自分よ、さようなら

他ゼミの同期の子とご飯を食べに行ってきた。

 

3月ごろご飯行こうねって言っていたのだが、コロナウイルス大流行のため断念し、そのうち授業が始まったり教採が近づいてきたりでバタバタして、先週でやっと怒涛の教採一次試験シーズンが終わった。

 

この4連休中は時間取れそうだよってなったので、予定を合わせ、ご飯を食べながらおしゃべりした。

 

彼女は気さくで話しやすく、天真爛漫なので、会話がポンポンと弾む。話していて心地よい。

 

ご飯食べた後は「甘いもの飲みたいね!」ってなってスタバに行き、期間限定のジューシーピーチフラペチーノ(舌噛みそうだ)をゲットして車の中で飲みながら、またちょっとおしゃべり。

楽しい2時間だった。

 

大学院に入って変わったことはいろいろあるけど、"誘われ待ち"ではなくなったのは、私の中で大きな変化のひとつ。

 

以前は、「誘ったものの断られたらどうしよう…」とかいらんことを考えては二の足を踏んでしまい、「誘ってくれないかなぁ」なんて受け身な人生を送ってきた。

 

大学院に入ってからは、そもそも「ご飯行こう!」とか「飲もう!」と誘われることが多くなったし、自分からも誘うようになった。

 

なんでだろう?

まわりの人の影響かな?

 

人とのつながりの大切さを今まで以上に感じるようになり、ゆるやかなつながりを作りたいと思うようになったからかもしれない。

 

明日は、3月に修了した先輩方と会う予定。

今からワクワクしている。

時間は限られているけど、いっぱいお話ししたいなぁ。

『学び合い』の課題を作成していたらマインドセットが変化する、の巻

『学び合い』の課題を作っていると、自身のマインドセットが崩れ去るような感覚がある。

 

私はいわゆる一斉授業で育ってきたし、『学び合い』に出会う前は一斉授業をしていた。おそらく私の中には、知らず知らずのうちに「一斉授業のマインドセット」ができていたのだと思う。

 

一斉指導だと自分でペースを調整することができるが、『学び合い』では授業時間の大部分を子どもたちに任せるので、ペースは子どもたち次第だ。教師の手の内は授業の冒頭ですべてさらすことになる。だから、少なくとも上位2割が読めばわかる内容でなければならないし、子どもたちが混乱しないような配慮が必要である。

 

今日も来週以降の課題を作成していたのだが、かなり時間がかかる。

別に凝った課題を作ろうとしているわけではない。なるべくシンプルにしようとしている。

 

今は村上春樹の『青が消える(Losing Blue )』を扱っているのだが、村上春樹の作品だけあって直喩がごろごろと出て来る。直喩からは逃れられない。

 

比喩表現は「これが比喩だよ」と説明するだけではおもしろくないしあまり意味もないように思うのだが、どうしたら「イメージを豊かに膨らませる」「わかりやすく表現する」という比喩の効果を生徒たちが感じ取ることができるのか…

 

こんなことを考えながら課題を作っていると時間はあっという間に経ってしまう。

 

そして、子どもたちが誤りなく問いを理解することができるよう、言葉の持つ意味にも注意を払うようになった。

 

今回の作品では「比喩」と「主題」を取り上げる予定なのだが、「主題」とは何かというのが自分の中でふわっとしていてつかめていなかったことに気づいた。

 

教師がわかっていないことは生徒には容易に伝わってしまう。

 

当たり前のことではあるけれど、『学び合い』と一斉授業では視座も視点も違う。その違いは課題にも現れてくる。

 

そのことを課題を作りながら痛感する。

 

あぁ、自分の中のマインドセットががらがらと崩壊してゆく。

でも、その崩壊の音がどことなく心地よかったりするのは気のせいだろうか。

「つらいなら逃げればいい」と人は言うけれど…

先日、父方の親戚からお中元が届いたお礼にと電話がかかってきて、私が受けた。

私にとっては伯母にあたる人なのだが、住んでいる場所が離れているためか、なかなか顔を合わせる機会はない。

 

近況報告をいろいろとしていたら、その伯母さんから、

「なんで講師を辞めて大学院にいったの?」と聞かれた。

ちゃんと話そうとするとけっこういろいろあるので、

「講師してて、学び直したいと思ったんですよねー」と当たり障りのない返答をした。

 

そうしたら、

「そうだったの。水が合わなかったのかなぁ、なんて心配してたのよね」と伯母さんが言ってくれたので、この人には話しても大丈夫かなぁと思い、講師を辞めた経緯をかいつまんで話した。

 

私が講師を辞めようと決めたのは、同僚の先生との関係がどうにもうまくいかなくなってしまったのが直接の原因だった。

 

同僚の先生と言っても大先輩、教科も同じだったので、本当にお世話になった。

それでも、その先生の発言にかなりメンタルをやられてしまった。最後の方は、私に向けられた言葉ではないと頭ではわかっていても、心が悲鳴をあげてしまい、「もうだめだな」とふっと我に返った。

 

そのほかにも、(残念ながら)辞めようと思ってしまうような要素は揃っていた。

・初任なのにも関わらず、同じ初任と授業を組むことになり、指導係も特におらず疲弊する(途中で他の先生が間に入ってくださったのでなんとかなった)

・3年目の時、同じく常勤講師の同期や後輩が担任を持つ中、私は正規教員に上がることもなく副担任のまま

 

特に2つ目は正直堪えた。まわりの先生方からは働きぶりを認めてもらっていたし、私も学校に多少なりとも貢献できている自負はあったから。

「いきなり担任を持たせてつぶれないように、大切に育てようとしてくれているんだよ」とフォローしてくれた先生もいたが、「あぁ、私ってこの学校ではその程度の存在なんだな」という思いはいつもついて回った。

 

辞めると上に伝えた後、まわりの先生からは散々引き留められた。「来年正規に上げようと思っていた」とまで言われた。でも、「もう遅いんだよなぁ」という感じだった。

 

地元の採用試験に落っこちて「私って必要とされてないのかなぁ」なんて思っていたときにひろってもらった学校だったので、恩を感じていた。

 

それでも、だめなものはだめだった。

しがみつかなくてよかったと今なら思える。

 

 

「そんなにつらいなら逃げればいい」と言う人は多いけど、渦中にいる人間は「そうは言っても…」とか「そんなの無理だよ…」と思っている人が多いのではないか。

 

「そんなにつらいなら逃げればいい」というより、「いつでも逃げられるように準備をしておこう」の方がいいのかなと個人的には思う。

 

自分はいつでも逃げられると思えば、「ここで耐えなければだめだ」と洗脳(?)されにくくなるし、いざとなれば逃げることもできる。心のセーフティネットになってくれる。

 

「いつでも逃げられる準備」をするためには、まとまったお金と人とのつながりが必要になってくると思う。実際、私も頼りにしたのはその2つだった。

「お金」と言ってしまうと身もふたもないのだが、やっぱり大切。

 

そして、逃げてもなんとかなるような「人とのつながり」を持てるような子どもたちを育てていきたいと思う。

『学び合い』の最後の語りのときに感じたこと

昨日の失敗をもとに課題を修正したので、今日は多少リカバーできた。

 

同じ科目を全クラス分担当しているので、あるクラスで何かあったときは、その後他のクラスで修正して様子を見ることができる。

 

ただ、始めの方のクラスを実験台にしているような感覚が拭えない。どの生徒にとってもその1コマは人生に一度のものだからしっかりやらなければ、と思うのだが、毎時間のうまくいかなかったことを修正して次のクラスでやってみる、の繰り返し。もどかしい…

 

今日「うっ…」となったのは、あるクラスでの最後の語りだった。

 

そのクラスは最後の最後で1人だけ終わらなかった。あと数分あれば終わったと思う。

 

しかも、「時間ないからとりあえずサインしてネームプレート動かしちゃえ」ということもなく、その生徒も、確認している生徒も一生懸命だった。

 

それでも時間は時間。(無情にも)「時間だから」と生徒を席につかせた。

 

『学び合い』のテクニック本には、「こういうときにはこんな声かけをしましょう」というさまざまなパターンが載せられており、教室で起こりうることのほぼ全てが網羅されている。

 

もちろん、時間内に終わらなかったときの語りや声かけの例も載っているし、読んだこともある。

 

それでも、40人の視線がいっせいにこちらを向き、課題が終わらなかった1人の生徒を前にして語るのは、ものすごいプレッシャーだった。

 

・社会に出れば、締め切りはよりシビアになる

・自分ができればいい、というのではなく、みんなのミッションは一人残らず全員が達成すること。そのために何ができるか一人一人が考えてほしい

 

こんなことを語って終わりにしたのだが、本当に伝わったのか、言葉の選び方はあれでよかったのか、と頭の中がぐるぐるとしていた。

 

授業後振り返りシートの記述を見ると2割ほどには伝わっていそうなので少し安心したが、気は抜けない。

 

語りは難しい…

そして、真剣勝負は今後も続く。

 

 

ただ、これで今週は終わり。

帰りがけに、試験が終わったら食べようと思っていたミスドの新商品を大人買いした。

https://www.misterdonut.jp/m_menu/new/200703_mochicream/

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ドーナツとおもちのコラボ。

レモン系がさっぱりしていておいしかった。夏が来た感じ。

 

あ、最後はミスドの宣伝みたいになっちゃった。

まぁ、いっか笑

『学び合い』の課題の量と難易度が読めない…

『学び合い』の本には「上位2割の子が10分程度で解き終わる量」というのが、課題の量・難易度の目安として載っている。

 

ただ(当たり前のことなのだが)、課題の量や難易度がその集団の子たちにとって適切かどうかはやってみないとわからない。

 

ある程度教員と生徒集団の間に関係性ができてくれば想定できるのかもしれないが、今の私のようにポンといきなり入ったところでやろうとするのは難しい。

 

今日は完全に私が欲張ってしまった。初回の授業で全員達成したので、いけるかなぁと思ってやってみたけどダメだった。

 

生徒には本当に申し訳ない。

 

「教えてもらってないことを学び合うのは難しい」というような声も出ているので、なぜみんなに任せているかということをちょっと丁寧に語らなければならないのかもしれない。

 

懸念事項が山積だから、明日が終わったらまた立て直そう。

 

うーん、難しいなぁ…

非常勤講師生活スタート

今日から非常勤講師としての生活がスタートした。

すでに、大学院生、(平日は毎日)バイト、(自称)ハンドメイド作家と、二足のわらじどころではなく、四足目に突入しているのだが。

 

今日は午前中2コマ。

終わってみれば、最初から『学び合い』にしてよかったなと思う。

「はじめまして」の先生がいきなり変なことを言いだしても、「あ、この先生はこうやるんだな」とすっと受け入れてもらえた(ように見えた)からだ。

 

・みんなは自ら学ぶ力を持っていること

・社会に出たら自分の得意なことについてはまわりの人に力を貸したり、困ったときは助けを求めたりする意思表示ができることがとても大切なこと

・私は教えないけど、目標設定・学習環境の整備・評価をすること

↑こうしたことを授業のはじめに語って、「では始めてください」と生徒たちに委ねた。

 

教材は、村上春樹の「青が消える(Losing Blue)」。独特な比喩が多く、「世の中から青が消える」という設定も特殊で、村上春樹ワールド全開。

生徒の初読の感想を読んでいたら「何を言いたいのかわからない」という感想が多数。

うんうん、よくわかる笑

でも「何を言いたいのかわからん」という生徒が今後どう変わっていくかは楽しみでもある。

 

最初の内はあまり動きがなく、しーんとして読んでいたのだが、私の方をちらっと見ながら小声で「辞書貸して」と隣に頼む子がいた。「本当に教師の方を確認する子がいる!」と内心思いながら、「ひそひそとでも声出してもいいよー。うるさいとか静かにしろとか言わないからねー」なんてうろうろしながら声をかけた。

 

行動を価値づけしていくと、だんだん動く生徒が増えていく。実に素直だと思う。

 

最初のクラスは終了5分前に全員達成していた。難易度も量もよくわからなかったので「これくらいかなぁ」と思って作ったのだが、とりあえずよかった。

 

課題は…

いろいろあるけど、一番は「遅刻してきた子をどうするか」かなぁ。

大幅に遅刻してきた子以外は課題を達成したときにどう語るか。

「遅れてきたとはいえ、クラスの一員なんだから、全員達成するためにみんなができたことがあったはずだよね。次回は全員達成できるように何をすればいいか考えて動いてください」みたいなことを語ったけど、正直テンパっていたのでこれで良かったのかどうかはわからない。

 

うーん、むずかしい…

 

とはいえ、明日も授業はあるので、今日の反省をもとに課題と語る内容を考えよう。

西川研究室のみんなとオンライン授業の本を書いた話

西川研究室のみんなと一緒に書いた本が先日発売された。

子どもが「学び合う」オンライン授業!

子どもが「学び合う」オンライン授業!

 

 私も執筆者の一人なので、自分が書いた章の後ろと本の最後に名前が載っている。

まさか、世に売り出される本に自分の名前が載ることになろうとは。

 

4月頃「オンライン授業の本を書こう!」と決まってからは早かった。執筆者が決まり、章立てや内容が決まり、あれよあれよと言う間に「本」が出来上がっていった。

 

Googleドキュメントで共有しながら執筆を進め、わかりやすいように設定画面等をひとつひとつスクショし、Zoomでの模擬的な授業の様子を撮影する時はゼミ生で手分けして教師役と生徒役をしたりした。画面に表示されるイラストを描いたのもゼミ生である。

 

本を書くという経験をしたことで、出版に至るまでの経緯というか舞台裏のようなものを垣間見ることもできた。

 

最初はとりあえず書くだけ書いておき、コンセプトや読者のニーズを踏まえて編集の方が「この内容を加えてほしい」とか「この部分は削除した方がいい」等の指示を出し、執筆者である私たちが直す、というのを繰り返す。

 

「本になる前のまとまった文章」を作るまではそんなに時間はかからなかったのだが、そこから本になるまでが体感的には長かった。

画像を何度も撮り直したり、文章を推敲したりする作業を何度も何度も。

しかも西川先生は「いついつまでにやってね」とせかしてくる笑

 

この前、西川先生と共著で広域通信制高校についての本を書いた、同じゼミの現職さんも「西川先生書くの早いし、めっちゃせかされた」と言っていたような…

(その広域通信制高校の本がこちら↓ おすすめです!)

 

この時期にオンライン授業の本を出せたのは大きい。

東京都の感染者は連日200人を超え、全国各地でまた感染者が増えてきている。正式に「第二波だ」とは言われていないものの、うすうす「これが第二波なんだろうなぁ」と思っている人も多いんじゃないかと思う。 

 

夏休みを大幅に短縮して授業時数を確保している学校が多いようだが、そうした”授業時数合わせ”をいつまで続けることができるのかはわからない。

非常勤先に挨拶に行った時も、先生方が「この状況がいつまで続くか…いつまた休校になるかもわからないし」とおっしゃっていた。

 

再度休校になった場合、子どもたちの学びを保障するにはオンライン授業しかないと思う。「デバイスが揃っていないから」「オンラインなんて…」と言っているうちに、子どもたちのつながりも学びも絶たれてしまう。

 

この『子どもたちが「学び合う」オンライン授業!』の本は、初心者でもすぐにオンラインで授業が始められるようなヒントがたくさんつまっている。

心ある現場の先生方、保護者の方などがこの本を手に取って、行動に移してくれるといいなぁと願ってやまない。