Q「普通科の存在意義は?」→A「ない!」

昨日は普通科の存在意義について、もやっとしていた。

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なので、今日のゼミで早速西川先生に聞いてみた。

 

私「高校の普通科の存在意義って何ですか?」

間髪入れずに、

西「ない」

 

 快刀西川、過去一の切れ味。

 

普通科は進学する生徒のためのコースとされるが、今の時代大金を払って大学に行ったところで、就職先があるかというと必ずしもそうではないというのが現実である。

この辺のことは、西川先生の『学歴の経済学』に詳しく書いてある。

親なら知っておきたい 学歴の経済学

親なら知っておきたい 学歴の経済学

  • 作者:西川 純
  • 発売日: 2016/07/16
  • メディア: 単行本
 

普通科から大学に進学し、大学でかかった教育費や高卒で就職していれば得られたであろう4年分の賃金(+人によっては奨学金)を回収できる給料を得られる職に就けるのはごく少数である。

 

最近は普通科に進んでも 進学せずに就職する生徒がいる学校を「進路多様校」と呼ぶらしい。

そうなるとますます現状の普通科の在り方に疑問が湧いてくる。

 

 

研究を進める中で普通科の存在意義に疑問を抱いたわけだが、大学院で学び直していなければ、上記のことを知らないまま教員を続けていたんだろうなぁと思う。その可能性を考えると、ちょっと背筋が寒くなる。

 

私自身、普通科の(地元では)トップ校と呼ばれる高校を卒業した。浪人生を除けば、同級生のほぼ全員が4年制の大学に進学するような学校だ。

大学も(いわゆる)偏差値が高く名の知れているところを卒業し、今に至る。

 

「学歴が役に立っているか?」と言われると正直わからない。

結局大学卒業後働いたのは3年間だけだったし、修了後も学歴に見合うだけの給料をもらえるかなんてその時になってみなければわからない。

 

それでも私は「自分は安定した職につけるだろう」と思い込んでいるし、「4年制大学に進学した私の同級生も、今ごろ安定した職に就いているのだろう」と漠然と考えている(実際のところどうなのかは知らないけれど)。

 

自分がどれだけ狭い価値観・視野の中にいたのか、今ならわかる。

 

このご時世、「とりあえずビール!」みたいに「とりあえず普通科」では、ほとんどの生徒はお先真っ暗になりかねない。

しかし、そのことに気づいている生徒、保護者、教師がどれくらいいるのか。

 

研究論文を読む人は限られてしまうけれど、それでもこの状態に一石を投じたい。

その一心で研究を進める私。

 

最近はこんなことばかり考えている。

普通科の存在意義ってなんなんだ

高卒で就職した若手社員の方に「高校でやったこと、学んだことで役に立っていることはありますか」と聞いたら、「役に立ったことよりは役に立たなかったことしか出てこない…」とのこと。

 

"役に立たなかったこと"が気になってしまい、そこを突っ込んで聞いてみたら「授業でやったことは働く上で基本役に立たなかった」そう。

 

今日インタビューさせていただいた方はどちらも普通科の出身だったのだが、インタビューシートには「普通科だったので仕事に役立つことはなかった」という旨の記載もあった。

 

こう言われてしまうと、普通科の存在意義って何なんだろうと考えざるを得ない。

 

そもそも、"普通"って何が普通だと言うのだろう?

 

普通科に対して農業高校や商業高校等は職業科と呼ばれ、「普通科は進学前提」感もあるが普通科にも就職する子はいる。

 

普通科は進学だけ考えていればいいのか?

 

普通科の存在意義とは?

 

あぁ、モヤモヤする…

「なぜ高校ではアルバイトが原則禁止なのか?」という問いから考えたこと

インタビューの文字起こしをしていたときのこと。

「高校にどんな教育をしてほしいですか?」という質問に対し、ある食品関係の企業の人事担当者は「お金を稼ぐ大切さ・大変さがわかるような教育をしてほしい」と答えていた。そして、「でも、高校にその余裕がないことも重々承知している」と。

 

高校生が自発的に、継続的に働く機会はかなり限定されていると思う。

 

職場体験やインターンシップはあるが、一時的なものがほとんどである。

 

アルバイトをするのも選択肢のひとつではあるが、家計の金銭的事情などがない限りアルバイトを原則禁止している高校がほとんどではないだろうか。

 

この「原則禁止」というのは校則によるものだろうが、校則が法的拘束力を持たないことはほとんど知られていない。私も教職大学院に入ってから知ったくらいである。生徒や保護者が「校則は絶対に守らなければならない(守らざるを得ない)もの」と考えていても不思議ではない。

 

なぜ多くの高校でアルバイトが禁止されているのか、少し調べてみたのだが、「帰宅が遅くなると犯罪などのトラブルに遭遇しやすくなる」というのが理由として挙げられていた。

 

アルバイトをするかしないかは完全に教育課程外のことだ。本人が希望しており、保護者が許可したのであれば、学校がとやかく言う筋合いはないはずである。

 

学校が、校区内のパトロール等、本来であれば教育課程外のことについても気にするようになったのは、社会や家庭の要請にいちいち応えようとしてきた過程で風呂敷を広げすぎてしまったせいなのではないか。

 

また、アルバイト禁止の理由の最上位には「学業を優先させるため」というものがあるが、これも大いに疑問ではある。

 

今まで何人かの人事担当者にインタビューしたが、高卒の入社試験では学業についてはあまり重視していないそうである。(サンプル数が少ないので一般化しすぎている可能性もあるが)

 

それよりも入社試験で見ているのは、ざっくり言うと「コミュニケーション能力」らしい。

 

現状、授業よりアルバイトの方が多様な人とコミュニケーションをとる経験を積めるような気がする。

 

実際のところ、就職の際に学業をそこまで重視しないのであれば、「学業を優先させる」ためにアルバイトの機会を制限するのは生徒の将来を考えると悪手ではないかとさえ思ってしまう。

 

高校で学ばなければならない(とされている)ものは非常に多い。すべてやろうとすれば、みっちり詰まった選択肢の少ないスケジュールになるのは必然。

 

日々の授業や課題をこなすだけで精一杯では、自身の将来について考え、行動に移すことは難しい。

 

やっぱり今のところの最適解(?)は広域通信制なのかなぁ。

『学び合い』神奈川の会のリフレクション

念願かなって『学び合い』神奈川の会に参加することができた。

神奈川の会は昨年から参加したいなとは思っていたのだが、お金と時間の関係で参加できていなかったのだ。

 

杉山さんの講演会は、「学校組織≒教職員集団を変えるには」というテーマ。

講演の冒頭で「どのように学校を変えたいと思っていますか?」と全体に対して問いが投げかけられた際、まさか2人目に自分が指名されるとは思っていなかったので、答える時は少し挙動不審になってしまった。

(とはいえ、今の私の中で学校組織を変えることと教職員集団の中で多様なつながりを作ることは切り離せない)

 

その後、組織開発について同じグループの方々とワークを行った。

内容は、「A組織開発」「B社会構成主義」「C成人教育学」の3つの言葉を同僚に説明する際の資料を作成すること。

Googleスライドを使ったので、他のグループがどのような説明をしているのか見ながら資料を作成することができた。

ちなみに私が担当した「社会構成主義」のスライドはこんな感じ↓

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(大学院に入ってからというもの、「いらすとや」を使い倒すくせがついてしまっている)

 

ワークをしている最中は、「組織開発」「社会構成主義」「成人教育学」の3つがいったい何なのかよくわからないまま作業をしていたのだが、その後のお話でこの3つは学校組織を変えるために必要なエッセンスであるという伏線の回収が。

 

そのほかにも、

●組織開発で『学び合い』を普及するとよい

●変容する先生をつくる

●本来であれば学校教育目標が共通言語であるべき

などなど、新たな学びを得ることができた。

 

初任や若手であったとしても学校組織を変えるためにできる具体的な方法を知ることができたのは大きな収穫のひとつ。

特に、「おもしろいと思った文章等をコピー→いろいろな人に配ってみる」ことをしつこいくらい繰り返すことで自分の考えをまわりに知ってもらうというのは、相手との関係性を見極めながらも現場で実践できそうなことだなと感じた。

 

最後のチェックアウトで、杉山さんがチャットに書いてくださった、

”ちょっとしたことを継続すると大きなベクトルになりますよ”

という言葉で、これからも自分にできることをコツコツと続けていこうという意欲が湧いた。

食べ物に携わる者は強し

米農家の娘である私にとって、お米は買うものではなく”蔵からとってくるもの”、もしくは”実家から送られてくるもの”である。

 

農家に休みはない。

作物は生きているし、天気は時々刻々と変化する。

 

我が家において最も優先されるテレビ番組は「天気予報」だ。

小さいとき、天気予報中に関係ない話をしようものなら「シーッ!」とたしなめられた。

一日に何度も天気予報を確認し、その後の作業内容を決める。

作物の出来によって収入が大きく変わるので、毎日が真剣勝負である。

 

そんな両親の背中を見て育ったせいか、一緒に食事をしている人がご飯粒を茶碗に残したまま食事を終えるのを見ると、内心「あーあ…」とがっかりしてしまう。

 

「食べること」は生きることとは切っても切り離せない。

食の根本を担う農家は最強なんじゃないか、と個人的には思っている。

異論はあると思うが、結局生きていくために必要なものを自ら生み出せる者が強いのだ。

 

と、田植えの手伝い中に金色に輝く田んぼをぼんやりと眺めながら、とりとめもなく考えてみた。

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今年もおいしいお米が取れるといいなぁ。

インタビュー(する側)開始!!

個人研究のインタビューが今日から本格的にスタートした。

今日はある企業の人事担当者の方と40分ほどお話をさせていただいた。

 

実を言うと、インタビュー前は質問項目を選定するのにかなりてこずっていた。

聞きたいことはいろいろあるが、時間は限られている。

勤務時間をわざわざ割いていただいているので、失敗はできない。

何を優先すればよいのか、どの順に聞けばいいのか。

半構造化インタビューの方法をとる予定だったので、質問をぎっちり詰め込んでしまうと、突っこんで聞きたい内容を聞くことができなくなってしまう。

 

ゼミで西川先生に「何聞けばいいですかね?」みたいな質問をしてみたのだが、

「聞きたいことを聞けばいいんじゃない? 最初から快く協力してくれるところなら、もし聞きそびれたことがあっても後日対応してくれると思うよ」とのこと。

まぁ、そもそも研究計画の段階で「何を知りたいか、何を測定したいか」がはっきりしていれば、おのずと聞くことも定まるはずなので、ふわっとしたままインタビューに臨もうとしている私が悪いんだろうけど。

 

インタビューはおもしろい。

特に私の研究テーマがキャリア教育なのもあって、その人の生き様を聞くことができるのにはわくわくする。

 

ただ、インタビュー後にはもれなく”文字起こし”の作業が待っている。

昨年の連携論文の際はすでにカテゴリーが決まっていたので、そのカテゴリーに当てはまる発話だけを拾えばよかったが、今回は共通点を探る感じなので、会話全てを文字起こしせねばならない。

インタビュー自体は40分だが、それを文字起こしするにはその何倍もの時間がかかる。

 

ゼミの同期に「Vrew」という動画編集プログラムを教えてもらってからは、文字起こしの際はそれを使っている。

vrew.voyagerx.com

音声データを放り込むと、AIが音声データを文字データにしてくれるのだ。

 

ただ、話す人の活舌の良さなどで文字データに変換する際の正確性が大きく変わってくる。

今日のインタビューデータをVrewに放り込んだら、”ピカチュウ”だの”クリステル”だの”コスプレ漫画”だの、話した覚えのない単語が大量に出てきて「あーあ」とため息をつきそうになった。

 

あ、でもどんな言葉をAIが”ピカチュウ”と判断したのかはちょっと興味あるかも。

懸賞は忘れたころにやってくる

↓ついさっき私あてに届いたもの

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自分が応募したことすらすっかり忘れていた。

 

それにしても、このご時世に車で1時間以上かかる博物館のチケット…

しかも、一緒に行く相手も思いつかないのにペアチケットだなんて。

 

笑うしかないな、これは。